編集:2007~8年頃の話ね。
ただ、困ったことと言えば、お店での無料WiFiとか、簡単な買い物にデビットカードを使うのに慣れちゃってたことかな。当時は東京でも、ましてや日本全体でそんなに一般的じゃなかったから。スタバがやっと無料WiFiを導入した時も、逆説的だけど、まずネット経由でユーザー登録しなきゃいけなくて、全く意味がなかった(スタバだけじゃなかったけど、アメリカみたいにすぐ繋がる場所から来るとイライラした)。スタバで観光客に数分間スマホをテザリングしてあげて、アカウント作ってWiFi使えるようにしてあげたこともよくあったよ。デビットカードも結局普及したけど、その頃にはもうモバイル決済に慣れちゃってたから、今じゃそれもほとんど使わないけどね。
今は故郷と連絡取るのもずっと簡単だし、出産とか写真とかで家族に近況報告するのも楽になった。昔だったら手紙と写真が必要だったことだよ。
その後、iPhoneが(ある程度)標準的なレンダリングとスクリプトサポート、ビデオフォーマットを持って登場して、あとは歴史の通りさ。
でも、全部納得がいくよ。日本はプログラマーのスキルの幅が一番広い気がする。どん底レベルか、なんで君がソフトウェア開発者なのか全く分からない(そして多分本人も分かってない)か、数日でアーキテクチャのプロトタイプを丸ごと用意してくる伝説的な開発者か。標準や慣行も同じで、物理マシンにコードをファイル転送してウェブサーバーを動かしてる開発者もいれば、シリコンバレーの標準や慣行の最先端を行く開発者もいる。
私が知ってるのは、一緒に働いたことのある日本人インターン生の中には、本当にすごい子たちがいるってこと。大抵は、彼らが本当にその分野に興味を持ってるからだと思う。それに、前の職場で私が日本語を話せると知られてたにも関わらず、インターン生たちはみんなすごく流暢な英語を話してた。英語力(オンラインのリソースを読むことなど)は間違いなく重要な要素だと思うよ。
個人的な違いは:
クラブシーンが良かったかどうかは分からないけど、当時はいいところがいくつかあったよ、2003年から2007年くらい。今はもうクラブに行くには年を取りすぎたけど。
Googleマップがなくて、ただ歩き回って探検するのが大好きだったなぁ。カフェで女の子をナンパするのも、アプリのせいで今よりたぶん一般的だった。
紙の切符だけじゃなくて、改札には駅員さんがいて、一枚一枚手で切符を切ってたんだ。
デパートにはエレベーターガールだけじゃなくて、エスカレーターガールもいて、エスカレーターのところで手すりが回ってくるのを掃除するためだけに立ってた。しかも清掃員の格好じゃなくてね。
大きなデパートだけじゃなくて、紀伊國屋書店には6人くらいしか乗れない小さなエレベーターがあったけど、そのうちの一人はエレベーターガールだった。
どこでもタバコが吸えた。
携帯電話はなかったけど、公衆電話はたくさんあった。
たぶん、東京で最後にエレベーターガールがいた場所だと思う。少なくとも2010年代まではいたはず。
紙の切符の代わりに使う定期券はまだあったね。
紙の地図で十分だった。もっといいのは、日本人の彼女/彼氏にルートを探してもらうこと。
その彼女/彼氏にNTTに電話してもらって電話回線と、どっかのプロバイダーにネット契約をしてもらう。電話回線とモデムでインターネットに接続。
彼女/彼氏と結婚して、日本語を学ばなくても日本に住み続けられるようにする、とかね。
平成7年からここに住んでる者より。
まあ、これらは今でも存在するし、今でも使われてるよ。
> Googleマップなしでどうやってナビゲートしたの?
コピーした地図、地図帳、手描きの地図。
> デジタル技術のない生活はどうだった?
当時だってテクノロジーはたくさんあったよ。ラップトップ、電話、コンピューターは全部存在してた。今みたいにどこにでもあるわけじゃなかったけど、それでも十分一般的だった。
コメント
70年代には全国的に絶滅危惧種入りしてたぜ