【海外の反応】マリー・コンドーのミニマリズムとは裏腹な日本の実態を知る

コンドーのライフスタイル哲学は、西洋人にとっては「ミニマリズム」や「日本的」だと誤解されることが多いです。物を減らすことを合理化や簡素さの一部だと捉えがちですが、コンドーが言いたかったのは、自分の空間に対して気をつかうことです。自分の空間を大切にして、喜びを感じるものを大事にし、不要なものを排除するということです。
この誤解は、すべてのダイエットが食べ物を極端に制限することだと考えるようなものです。もちろんそのようなダイエットもあり、過剰な物を所有している人もたくさんいます。しかし、そういった「ダブり」を減らすことで、自分が本当に大切にするものに集中できるようになるのが本来の目的なのです。
西洋人は常に日本に対して歪んだ見方をしてきました。1990年代半ばに大学で学んでいる時に初めて日本を訪れた際、ほとんどの日本人が暮らしている様子や、都市の様子に驚きと魅力を感じました。当時のメディアは、銀座や新宿といった超都市的で洗練された日本や、田舎の寺社仏閣、丁寧に手入れされた日本庭園といった平和で質素なイメージばかりを伝えていました。「日本の家」について描いた高価な写真集も、慎ましく洗練されたミニマリズムを推奨していました。
しかし、実際の様子はそうではありませんでした。密集した住宅や、物が溢れかえる狭い生活空間、工場に隣接する住宅地など、非常に異なる光景が広がっていたのです。コンドーも子育てをするようになってから、喜びの方法で家を維持するのを諦めたそうです。日本でも同じように散らかった家の様子や改善の様子が TV 番組で取り上げられています。ゴミの処理が大変なことが、ミニマリストの生活を難しくしているようです。
日本の住宅設計と間取りの違いが大きな比較点です。私はカナダ人ですが、日本に家を持っています。私の家は、ほとんどの日本の家と同じような形ですが、地下室やアトリック、ガレージがありません。北米やその他の国の一般的な郊外の家には、これらが少なくとも2つはあります。そこに、使わないものを次々と蓄積していくのです。一方、日本の家では、わずかな収納スペースしかないので、家中に散らかって置かれざるを得ません。子供がいれば、さらに状況は悪化します。
コンドーのフィロソフィーは、日本のカオスに対する反応だと私は考えています。定期的に物を捨てないと、どんどん溢れてしまうので、日本の家では物を捨てることがより合理的なのです。
マリー・コンドーが日本で活動を始めたのは、海外に行く前のことです。マリー・コンドーのようなひとが必要とされる人々とは、物が多すぎて処理できなくなっている人々なのです。物価の上昇に伴い、人々はこれまでよりも物を買えなくなっています。しかし、ゴミ収集にも料金がかかるので、物を捨てることもできなくなっています。買えなくなり、捨てられなくなった結果、部屋は数年で過剰に物で溢れてしまうでしょう。
ドンキホーテこそが、ミニマリズムの頂点といえるでしょう。
この本は古くなっていますが、典型的な都市部の家の実情を示す良い例として紹介されています。https://www.anothermag.com/design-living/15743/kyoichi-tsuzuki-tokyo-style-90s-interiors-book-apartamento 日本人は概してムジ・カタログのようなミニマリストではなく、むしろ散らかっているのが一般的だと理解するためには、この本が参考になるでしょう。

コメント

タイトルとURLをコピーしました